top of page

  『その心に安らぎを』

 
 
 


 

 いついかなるときでも、鍛錬の心を忘れてはならない。幼い頃から心のどこかに芽生え、育っていた観念は確実に戦乱の中で成長してゆく。
 それに呼応するようにして武術の腕も上がり、手腕を炎の英雄に褒められることもある。ともに戦の場に立つ大人たちからも実力を認められていることを実感できるようになっている。
 そうであるにもかかわらず、サナエの心はすっかりとは満たされなかった。
 原因はさらなる鍛錬の必要性への焦りか、技巧の向上への憧憬か、ともに戦う英雄の姿のようなものへの希求か、普段から稽古の相手をしてくれている仲間への申し訳なさか、そのような類のものだと思っていた。道中の休憩のあいだであっても精神を集中しなければならな いと言い聞かせていても、もやもやとした気分が邪魔に入る。
 不安とも葛藤とも判断のつかない感情に、仲間とは少し離れた場所にある岩に腰掛けながら、ひとつため息をつく。その瞬間、背後から派手な声が聞こえた。
『ゲヘへへへへ!! 今日もまたシケたツラしてんなぁ、そんな眉間に皺よせてちゃババアになるのも時間の問題だぜ』
「ちょっと、ブランキー、なに失礼なこと言ってるの! サナエさん、休憩中にこの子がごめんなさい」
 サナエが振り向くと、ブランキーごとぺこりと頭を下げているメルの姿がある。
 状況をすぐに飲み込むことができず、サナエがおろおろとしているあいだに、メルはなにごともなかったかのようにぱっと顔をあげた。
「そういえば、サナエさんとご一緒するのってあまり機会がないですけど、私の見たかぎり、いつも休憩中はひとりですよね」
 きゅっとまとめた髪をまとめるピンクの大きなリボンを揺らし、メルは首をかしげる。
 その姿は、サナエにとても無邪気なように映った。さきほどまで英雄たちと談笑していたにもかかわらず、気がつけばこんなところにいる身軽さも、精神を集中する相手に構わず声をかけるさまも、とても自由奔放なように映った。
 あの、と小さく切り出す。ただし、出てきたことばは、メルの質問の回答にはまったくなっていなかった。
「……なにか、ご用でしょうか」
「話しかけられるの、ご迷惑でしたか」
 まったくもって、話が噛みあわな い。そのまま、サナエが思わず口を閉ざしそうになってしまうところに、ブランキーが割って入った。
『言いたいことあるなら言っちまえよ! それとも無視か? シカトってやつか? おいメル、こんな根暗と一緒にいたら何やったってつまんねぇぜ! 離れろ離れろ!』
 手にしたブランキーの叫びがまだつづく中、メルはブランキーを近くの樹へと向かって振り下ろす。
「失礼にもほどがあるでしょ! いい加減にしないと……こうだよ!? こうだよ!?」
 濁音に満ちた悲鳴をあげながらブランキーは温情を乞う。それでもメルは片手を容赦なく打ちつける。まったくもう、というメルの怒りとブランキーの叫びが同時に発生することは、──そう、一度たりとてない──
 完全に背中を向けて活発に動くメルの背中に、ふと、サナエの心のどこかが緩んだ気がした。自然と、ふふ、と総合が崩れる。
 ──父と母も、きっと自分とはすべてを異にするような方々とともにいたからこそ、強く、やさしいのかもしれない──
 ただ芯が強いだけでは、本当の強さは手に入らない。ただ技量があるだけでは、感情を持たない操り人形のようでしかない。求めていたものは、そんなものではなかったはずだった。追いかけていた憧れの両親の背中は、もっと違うもののはずだった。
 ようやく物音が止み、くるりとメルが振り返る。
「ほんと、ごめんなさいね。この子、しっかり怒っておきましたから……、って、どうかしました?」
「いえ、そ の……メルさんやブランキーさんのような方、はじめてで──、なんだか楽しくなってしまって。……いけませんよね、ここはまだ戦場だというのに」
 どうにかいつものような口調を保とうとするも、声のトーンが高いことはサナエ自身がもっともよくわかっていることだった。冷静さを取り戻そうにも、うまくいきそうにない。
 すると、メルは上半身を乗りだし、サナエの前でにっこりと微笑んだ。
「休憩中くらい気を抜かないと、疲れちゃいますよ」
『そうだぜ、だからおれは言ったんだ、そんなシケたツラしてちゃ、さっさとババアに──』
 ブランキーがそう言いかけた瞬間、メルはまた近くの樹へと小走りに駆け寄った。
「なんで二度もそんな言い方す るの! もう今日は二倍増しでこうだよ!? こうだよ!?」
 さきほどより激しく、なぜブランキーが壊れないのか不思議なほどの勢いで片手を振り下ろし、あらゆる角度からぶつけにかかる。当然、ブランキーの再三にわたる謝罪を聞き入れることもなく。
 ──この少女が、どういう意図で接してきたのかはわからない。それでも──
 無意識のうちに、腰が上がる。袴についた埃を払うのもそこそこに、サナエの足はきわめてゆっくりと炎の英雄たちが集う輪へと進んだ。
 そのうしろで、瞳を巡らせながら軽い溜め息をつくメルに気づくこともなく。

 

 

 

  

執筆者:mayjune

bottom of page