幻想水滸伝Ⅲ 発売15周年記念Webアンソロジー企画
『始まりの客』
旅路を行くのは腹が減る。
糧食の準備は怠らないよう気をつけていたつもりだったが、まだまだ自分は甘いようだ。グラスランドの、まだほんの入り口でしかないというのにルビークくんだりで備蓄も懐具合も尽きかけるなんて。それこそ、あの人に知られたら大笑いされてしまうこと確定だ。
「まったく未熟者めが。カレリアあたりを拠点にしばらく路銀を稼いでいればよいものを。なまじ腕を試そうなどと色気を出すからこうなる」
「――……カレリアは騒がしくて嫌だと言ったのはあんただよ」
せめてカレリアまで戻ることが出来ればいいのだが。そう思案を巡らせていたところにまた背中から口五月蠅く声がかかる。別にいちいち返答する必要もないのだが、放っておけばいつまで愚痴が続くかわからない。つっけんどんに事実を指摘してやると剣はようやく口を噤んだようだった。
時折聞こえる呻るような虫の羽音と絶壁を吹き抜ける笛にも似た風の声以外はしわぶき一つ響きもしない。市でも立って賑わっているなら金がなくとも当座の食料程度を失敬することもできるだろうけど、あまり誉められたことじゃない。それにそもそもこんな寂しい集落じゃ掏摸など土台無理な話だ。
これがあの人だったなら口八丁手八丁でいくらでも切り抜けることができるんだろうと思うと、自分の不甲斐なさがより一層身に染みる。防具を売れば金にはなるかもしれないが、所詮一時しのぎだ。ここでは剣の腕で稼ぐことも出来ないし、ちゃんとした装備がなければ今の自分の腕では山を下ることも出来やしない。今日の空腹をしのぐために己の明日を売るような真似はするべきじゃない。そんなあいつの言葉が耳によみがえるが、けれど人間食べなきゃその明日がなくなる場合もあると思う。とりあえず宿を引き払ってはみたものの、野宿をつづけてもあと二日くらいで食べ物も尽きるのだ。手段を選んでいる余裕はない。
もう一度、ぐるりと村を見渡した。ハルモニアの兵が動いているせいか村人の姿はまばらで、あの人が教えてくれたとはいえあまり気の進まないあっちの商売をするにしても、これでは客がつくかどうかもわからない。もっともカレリアあたりでたむろしてる傭兵連中が戦の匂いを嗅ぎつけてここまで上ってくるのもじきだろう。ああいう連中は目端が利くし、その上大抵この手の賭け事には目がないから、うまくすれば町中よりも金は稼げる。
肩に回した剣帯をはずして星辰剣を水平に掲げ持つ。刀身はいつも奇麗にしてあるけれど、そういう商売に使うならもうすこし磨き込んでおいた方がいいかもしれない。勝負も商売も、実力だけじゃどうしようもない。はったりが効いた方が世の中うまくわたっていけると言っていたのも、確かあの人だったはずだ。
星辰剣はこっちの意図に気づかないのか、剣を磨いても食料の調達にはならないだの、人を包丁代わりにつかうつもりはないだろうななどと、またしても余計な口をきいてくる。何をする気かばれたらまたうるさいに決まってるから、客がつくまでは何も答えてやらないことにする。言い返す分、腹は余計に減るだけだ。だったら余分なことは何も言わない方がいいに決まってる。
このあたりでは見慣れないカラヤの女の子が橋を走り抜けてこちらにきたのはその時だった。さきほど見かけた顔色の悪いハルモニアの姉ちゃんよりずっと元気そうで、あれならきっと食いっぷりもいいに違いない。カラヤの戦士の強さは聞いているけれど、まさかあの年頃の子が一人で山道を越えてきたわけはないだろう。強さを見た目で量るのは愚かなことだし、実際あの身のこなしならそれなりの手練れだろうとは思うけれど、紋章屋の壁に背を預けて耳を傾けているその様はとても傭兵という雰囲気じゃない。不思議に思って見ていると、女の子を追ってきたのか、見知った空気を纏った一団が現れた。こちらは姿形こそ雑多なものの、どうみても傭兵だの流れ者だの、ともかくそういうやくざな商売をしている連中だろう。
女の子の手招きに応じて、一行の中でも大柄な男が気配を殺して紋章屋の壁に身を寄せた。ハルモニアの女の様子を伺っているらしい。興味が無いわけではなかったが、建物からも離れたこの位置からでは何がわかるということもない。下手な好奇心を起こさぬのが身のためだ。特にハルモニアが絡んでいるのなら、せいぜい無関心を装って聞き耳を立てているくらいが無難なところだ。
中の気配が変わったのか、例の連中は物音も立てずに散会した。皆いい身のこなしをしているが、中でもリーダー格らしい大柄な男に目が惹かれる。どうせ商売するのならああいう手合いを相手にしたい。
男の注意をひくように一通り磨いた星辰剣を地に刺した。邪魔な小石や砂利はちゃんと蹴り払ってやったのに、地面に刺された星辰剣がまたひとくさり文句を言っている。どうせ喋るのなら文句のかわりに客寄せの口上の一つでも言ってくれればいいのに、剣のくせにこう文句が多いのは問題があると思う。もっとも喋らぬ剣では一勝負一千ポッチで客を呼ぶことなど出来ないから、結局損得なしなのかもしれない。案の定、星辰剣の存在に気づいたのか、男は鷹揚な歩みを止めてこちらに目線を向けてきた。
まっすぐにこちらを見下ろしてくる男の眼差しからは何の感情も読みとれない。けれど嫌な感じはしない。商売抜きでも勝負してみたい。こういう奴はいい客になる。楽に稼げる相手もいいが、どうせ剣をあわせるなら強い奴との方が面白い。売り物呼ばわりまでされた星辰剣の機嫌が気にはなったが、虫の居所が良かったのか、本人は愚痴のわりにはさほど気にした風もなく、むしろ男の腕を試したがっているような口ぶりさえみせもする。
商売の内容を伝えると男は無言で隠しの中に手を入れた。これで商談成立だ。あとはいつものように適当に長引かせながら相手をいい気分で負けさせてやればいい。
星辰剣を鞘に納め、勝負が出来る広い場所へ男を先導していく。
背中で剣が、静かに笑う気配がした。