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 『hello hello Halloween』

 
 

 

 
 

 ブラス城は堅牢なゼクセン騎士団の砦だ。大勢の騎士や武具などを収容する城塞に加え、その下には一般市民が居住する街が広がっている。首都に比べると規模こそ小さいが、交易商の中継地点にされることも多いため、城下はいつも賑わっている。
 ゼクセン連邦の首都ビネ・デル・ゼクセを拠点とする傭兵隊から騎士団に引き抜かれ、この城に身を置き始めて数週間。暮らしは悪くないものだった。住居や食事は傭兵用の宿舎に比べて何倍も質が良く清潔で、設備も整っている。団内の規律も思いのほかしっかりしていて統率も取れており、戦う集団としては他国の中でも引けを取らないレベルの組織と言って良いだろう。
 自分が騎士団、あるいはこの国そのものに馴染めたかと言えば決して首を縦に振ることはできないが、それなりにやっていける自信はつき始めていた。異質な存在のまま溶け込むことはなくとも、うまく間借りできれば良い。そんな思いを抱きながら、日々を生きていた。

「……なんですか、それは」
 早朝、いつものように朝訓練のために訓練場へ出向くと、そこにはいつもと異なる光景があった。
 訝しげに問う自分に、先入りしていた同部隊の騎士たちは揃って首を傾げた。
「なにがって、なにがだ、ロラン?」
 反対に真顔で聞き返されてしまい、口元が微かにだがひくついてしまった。
 一瞬、彼らの気が触れてしまったのだと思いかけた。あるいは、夢でも見ているのではないかとも。同じ弓兵隊に所属する彼らは、至って真面目な騎士たちだ。騎士団の中には貴族意識の高さゆえに実力に見合わない振る舞いをする者も存在するが、この部隊にはその手の人間は少ない。訓練時にふざけるといったことも当然ながらありえない者たちばかりなのだが、今日に限ってはそうと言いきれない。今日の彼らの格好は、どこからどう見ても真面目に訓練をする者のそれには当てはめることができなかったからだ。
「その耳と尻尾はなんですか」
 意を決し、今度はその部位をしっかりと指差して尋ねた。弓兵隊の騎士たちは、ひとりも欠かすことなく狼らしき耳のカチューシャと尻尾の飾りを身に着けていた。その色は茶であったり灰色であったりとバリエーション豊かで、中には桃色といった奇抜な色のものも見受けられた。
「なにって、見てのとおり仮装だよ」
「仮装? なぜこんなときに」
「なぜって……あ、そうか。ロランはゼクセン出身じゃなかったもんな。だったら知らなくても仕方ないか」
 真相をまったく掴むことができずに眉を顰めていると、騎士たちは朗らかに笑いながら教えてくれた。
「今日はハロウィンなんだよ」
「ハロウィン?」
「そう。元々はブラス城の周辺にある農村が発祥なんだけど、秋の収穫祝いのひとつでさ。悪魔に収穫物を取られないように供物なんかを捧げる儀式みたいなものなんだけど、今は収穫物を狙う悪魔に扮した子供たちがお菓子をねだって、大人たちがプレゼントする行事になってるんだ。毎年、騎士団の連中も仮装しながらお菓子を持ち歩いて、子供たちに声を掛けられたら渡すようにしてるんだよ」
 ゼクセン出身の若い騎士の説明を受けて、頷く。なるほど、イベントの趣旨は飲み込めた。その土地独特の行事や風習というものは、どこにでもあるものだ。ゼクセンは比較的歴史が新しい国とはいえ、建国前からその地に住む者たちは確かに存在していたわけで、その人々の伝承がしっかりと受け継がれているのだろう。それはいい。大事なことだ。
 ――しかし。彼の回答は知識こそ与えてはくれたものの、自分の抱く疑問を晴らしてはいない。むしろ、混乱を辿る一方だ。
「聞いて良いですか」
「なんだ?」
「悪魔に扮するのは子供と聞きましたが」
「ああ、そうだよ」
「ならば、なぜあなた方が仮装する必要があるのですか」
 思ったままの疑問をぶつけると、騎士たちは一斉に目を見開いてきょとんとした。中にはかなり良い年をした男もいるが、全員が例外なく同じ顔をしている。
 そして、彼らは顔を見合わせたのちに、はっきりと言い切った。
「――なんとなく」
 それ以上、自分の口から彼らを突き詰める言葉は出てこなかった。あまりの脱力に、聞く気も失せてしまったからだ。

 何とも言えない心境のまま狼の仲間たちとの訓練を終え、城内の広い通路に出る。そこには、更なる異様な光景が広がっていた。城内を行き交う別部隊の騎士たちもまた、弓兵隊の騎士たちと同様にさまざまな仮装をして歩いている。中にはかなり手の込んだ衣装を纏っている者もおり、それを同僚に見せびらかして喜んでいる始末だ。
 立ち尽くして呆然とその様子を眺める自分の中で、驚きと呆れ、そして微かな苛立ちと怒りが混ざり合っていくのを感じた。
 現在はグラスランドとの紛争が発生し、戦の真っ最中だ。今は次なる出陣に向けての準備期間とはいえ、こんなお祭りムードで過ごして良い時期ではない。傭兵として戦場を渡り歩いていた身としては、その能天気さに疑問を覚えずにはいられなかった。
「よう、新入りのロラン殿」
 賑わう通路を見下ろす自分に声を掛けてきたのは、自分を騎士団に呼び入れた張本人であるペリーズ副団長だった。彼もまたいつもの装いとは違い、通常の団服の上に長い黒のマントを羽織っている。
「……それは吸血鬼、ですか?」
「ご名答。ちなみに牙もつけた本格仕様だ」
 ペリーズがニッと笑んで歯を見せると、確かに長い牙が二本生えているのが見える。彼の少し悪人めいた顔立ちも手伝って、その姿は非常に吸血鬼らしいもの見える。
「どうだ、似合うか?」
「……」
 敢えて答えることはしなかった。上層部の彼ですらこんな有様とは。様々な感情が渦巻く自分の中に、ややはっきりとした嫌悪とこの団に入ったことへの後悔が芽生える。
「戦時中にこんなおちゃらけてるのは気に入らないかい?」
 その感情は顔にもしっかりと出ていたらしく、ペリーズは目を細めて指摘してきた。黙ることで肯定の意を示す。すると、彼は賑わう通路に目を移しながらぽつぽつと語り始めた。
「このハロウィンってさ、子供たちがすごく楽しみにしてるイベントなんだよ。憧れの騎士様が面白い格好をしてくれて、そんな騎士様にお菓子を貰う名目で堂々と話し掛けることができる。子供にとっては夢みたいなひとときだ」
「……はあ」
「それを戦争だからって中止にするのは、気の毒でならなくてな。幸い戦況は悪くはないし、ガラハドとも話し合って今年も変わらずやることにしたのさ」
 ペリーズの目線の先を見やると、幼い兄妹らしき子供ふたりが、顔面を包帯で巻きつけた大柄の騎士からお菓子を受け取っているのが見えた。あちこちから貰ったのであろうお菓子を両手に抱える子供たちは、満面の笑みを浮かべて騎士にぺこりとお辞儀をしている。騎士もまた、そんな子供たちの頭を優しく撫でている。
 それは、やはり戦時中の砦で見るには不相応な光景に思える。
 しかし――。
「傭兵だったお前に共感してもらうのは難しいかもしれないが、俺としては市民がああいう笑顔を浮かべられる機会を設けるのも、騎士の務めのひとつじゃないかって思うわけよ」
「……なんとなく、わかるような気がします」
「そうかい? だったら嬉しいんだがね」
 確かに、不相応ではある。しかし、彼の言葉やその想いを理解できないわけではない。自分にも、故郷はあったのだ。もしここが自分の故郷であったなら――。例え戦時であったとしても、家族なり仲間なりには笑っていて欲しいと願うはず。そう考えれば、少し飛び抜けてはいるものの、戦場の中でこのような光景が見られることもそう悪くはないように思えてくる。
「ま、これから仮装の用意をするのは難しいだろうが、お菓子の準備くらいはしておけよ。お前さんの場合、子供たちにとっては今のままで充分に仮装に見えるかもしれないしな」
 副団長は笑いながら悪びれなく言ってのける。それに対し、表情を作ることなく、軽く首を横に振った。
「それには及びません。私に声を掛ける子供などいないでしょうから」
「どういうことだ?」
「ゼクセの傭兵施設にいた頃から、声を掛けられたことなど一度もありませんでしたので」
 様々な地を渡り歩く中、戦争の匂いを嗅ぎつけてゼクセン連邦に流れ着いた。それから一年余り。傭兵として首都ビネ・デル・ゼクセで生活する中で、同僚以外の人間と言葉を交わした記憶はほとんどなかった。街を歩いてもこの薄紫の髪と長い耳は異質なものと見られ、避けて通られるのが常だった。身分が傭兵から騎士になったとしても、それで見た目が変わることはない。恐らく、これからも民たちの態度が変わることはないだろう。
「この行事がゼクセンの大切な文化のひとつだということは、よくわかりました。ありがとうございます」
 丁寧に頭を下げて、踵を返す。それから数歩ほど歩いたところで、再びペリーズに呼び止められた。
「ロラン、あまりブラス城の子供たちを嘗めない方がいいぜ」
「……どういう意味でしょうか」
 振り向くと、黒マントに身を包む男は牙を剥き出しにしてニヤリと笑んだ。今度は少しばかりあくどい印象の残る笑みだった。
「外に出たら、きっとわかるさ」
 彼とはそれ以上の会話は生まれなかった。通路から飛び出してきた数人の子供たちが、一斉に彼にお菓子をせがむために飛びつき、彼の身動きが取れなくなったからだ。

 子供たちと戯れるペリーズのもとを去り、城下の道具屋へと向かった。切らしてしまった傷薬を補充するためだ。
 街を歩くと、やはりあちこちに仮装した騎士や市民、果ては行商人らしき大人までが子供たちにお菓子を配り歩いている。商人が配る異国のお菓子は珍しいためか人気があるようで、ひと回り大きな人の輪ができていた。
 子供たちの笑顔は純粋で無垢なものだ。それを戦争と言う理由で奪ってしまえば、この城は荒み、戦いにも影響を及ぼす可能性も考えられる。それを防ぐためにも、騎士たちがこういう形でひと肌脱ぐことも必要なことなのかもしれない。
 そう飲み込みながらも、やはり自分には関わりがないという思いがどこかにある。理解をしようとも、この行事は自分が踏み込むにはあまりに市民との距離が近すぎる。陰ながら見守るくらいが丁度良いのだろう。
 道具屋の前にやって来たが、あいにく主人は不在だった。カウンターには「すぐ戻ります」と手書きの看板が置いてある。薬は早めに補充しておきたい。仕方なく待つことにし、その場に立ち尽くしていた。
 数分ほど待った頃、不意に背後に気配を感じた。振り向くと、小さな子供たちが三人、にっこりと笑ってこちらを見上げている。
「騎士様、こんにちは!」
「……こんにちは」
 魔女のような帽子やステッキ、弓兵隊の騎士たちが身に着けていていたような耳付きのカチューシャをつけた子供たちの両手には、お菓子がごっそり入った籠が握られている。
「……なにか?」
 目を輝かせてこちらを見上げる子供たちの心を探るように問うと、彼らはより一層、笑顔を綻ばせた。
「トリック・オア・トリート! お菓子ください!」
「騎士様、それ、エルフの仮装ですか!?」
「かっこいいー! 耳なんか本物みたいだ!」
 身を乗り出して勢いのままに感想を口にする子供たちに圧倒される。その顔に悪意はまったく感じられない。むしろ、純粋すぎるほどで、だからこそ、言葉が出てこなかった。
「いや、これは仮装では……。それに、すまないが私はお菓子を持っていな――」
「おーい、お前たち。その騎士様のお菓子はこっちだ」
 子供たちを挟んだ先、ちょうど城の出入り口から出てきた巨漢の騎士が、菓子の入った袋を抱えてこちらにやって来た。
 騎士は先ほど城内で見かけた、包帯を顔に巻きつけた男だった。甲冑こそ身に纏っているものの、顔は包帯でぐるぐる巻きにして、片目も口も隠れてしまっている。騎士団に入って間もない自分には、誰かを特定することは非常に困難な格好だった。
「出たー! ミイラ男だー!」
「こわーい!」
「わかったわかった。ほら、お菓子だぞ」
「わあい! ありがとう、騎士様! エルフの騎士様もありがとう!」
「あ、いや……」
 ミイラ男の騎士からお菓子を受け取った子供たちは、はしゃぎながら次なるターゲットを探しに街を駆けて行った。
 そんな背中を見届け、しばしの静寂が落ちる。エルフの自分と仮装したミイラ男が子供たちを見守る様は、こんなイベント時でなければさぞ不気味に映ることだろう。
「助かりました」
 子供たちの姿が見えなくなったところでミイラ男に向き直り礼を述べると、彼は片手を軽く振って「気にするな」という意を示した。
 大柄な体格と僅かに覗く瞳。じっと見据えていると、その容姿からはひとりの騎士の名が連想できた。
「あなたは――レオ・ガラン卿?」
 傭兵時代、戦場の最前線で大斧を振るい、獅子奮迅の活躍をする若い騎士を後衛の高台から援護したことがある。近くで見るのは初めてだが、この風貌と漂う雰囲気は間違いない。
「入団したばかりだってのに、よく知っているな」
「以前、戦場でお見かけしたことがあります」
「そうか」
 巻いた包帯のせいで、レオの表情は窺えない。しかし、その朴訥とした相槌からは自分を特異に見ているような雰囲気はなかった。
「菓子を切らしてたんだろう? タイミングが悪かったな。主人なら、売る菓子の在庫を取りに倉庫へ走ってるところだ」
「いや、私はただ傷薬を買いに来ただけで」
「そうなのか?」
「……まさか、自分が声をかけられるとは思いませんでした」
「なぜ、そう思う?」
 何気なく問われる。包帯に隠されていない、唯一、彼の表情を探れる片目を見ると、どうにも試している様子はなく、本気で不思議に思って問いかけてきているようだった。
「この国に来てから、民間人に気軽に声を掛けられたことなどなかったので」
「ん? ――ああ、そうか。お前はずっとゼクセで傭兵をやっていたんだったな」
 合点がいったらしく、レオは何度か頷き、包帯で覆われている口を開いた。
「ゼクセの連中なら、確かにそうかもな。特に上流の奴らなら外部の人間には寄りつかないだろう。でもな、この城の人間はそうはいかんぞ」
「と、言うと?」
「この城には、様々な種族の連中が行き交っている。今はグラスランドの奴は通さないようにしているが、その前までは人間もダックもリザードもコボルトも当たり前のように行き来していていたんだ。エルフなんてかわいいもんさ」
 大らかに笑いながら、レオがこちらを見る。まだ若い騎士だが、その瞳には重量感のある力強さが湛えられている。他の部位が包帯に隠されているからこそ、より瞳の強さを感じられるのかもしれない。
 ――恐らく、とても強い男なのだろうと思った。
「ゼクセは確かに国の首都だが、他の町や村があそこと同じとは限らん。むしろ、首都の連中の方が少し特殊かもしれん。俺もゼクセの生まれだが、こっちの方が性に合っている」
「そう、ですか」
「ああ。お前もきっとすぐに馴染むさ。ここの市民たちは逞しいぞ」
「……そうですね」
 そこで、初めて彼に向けて笑みを浮かべることができた。レオは少しだけ目を見開いたが、特に何を言うこともなく、再び大らかに笑うだけだった。その態度が、自分にとっては非常に心地良かった。
「主人ならもうすぐ戻ってくるはずだ。傷薬と一緒に菓子を買って、他の子供たちには自分で配ってやるといい」
「そうします」
「ああ、それじゃあな」
 片手を上げて去っていくレオの背中を眺めていると、ようやく道具屋の主人が戻ってきた。抱えていた大きな箱の中には色とりどりの菓子が詰まっていた。
 主人はカウンターに置いていた看板を避け、息を整えながら応対してくれた。
「いやあ、お待たせしてすみません。お求めはなんでしょう?」
 尋ねられると、並ぶ商品の品定めもせずにすぐさま口を開いた。
「傷薬を五つ。――それと、その箱の中に入っている袋詰めのキャンディを三つほど」

 ――買い物を終え、いくつかの野暮用を済ませて城に戻るまで、予想以上の子供たちの襲撃に遭った。余るかと思っていたキャンディはあっという間に空になり、日没直前に最後の一個を手渡すこととなった。
 最後のひとりは幼い少年だった。母親に付き添われ、その母親はこちらの風貌にやや怯えているようだったが、少年はまったく怖がる様子は見せなかった。
「ねえ、騎士様」
 小さな掌で一粒のキャンディを握り、少年は問う。
「騎士様の耳はどうしてそんなに長いの? それ、飾りじゃないよね?」
「これ! 失礼なことを言うんじゃない! 騎士様、申し訳ありません。どうかご無礼をお許しください……!」
 慌てふためく母親にも動じることなく、少年はまっすぐと自分の目を見据える。
 自然と、少年の頭に手が伸びていた。
「それは、私がエルフだからだよ」
「エルフ?」
「ああ、わかるか?」
「……よくわかんない。けど、僕、騎士様のこと好きだよ! だって、すごく優しい目をしてるもの!」
「……ありがとう」
 そのとき少年に掛けた声は、自分でも驚くほど柔らかく、温かなものだった。

 ――自分がこのゼクセン連邦という国に間借りをするのではなく、骨を埋める決意をしたのはそれより少し先のことだが、振り返るとあの少年との触れ合いが、その第一歩だったように思う。
 この国を「悪くない」とではなく「好きだ」と思えるようになったのも、この頃からだ。生まれ故郷とは違う、もうひとつの故郷と呼ぶこの地を知る、第一歩。その記憶は、今も深く鮮明に残っている。

 ――余談だが、その十数年後にあたる現在。この手から一粒のキャンディを手渡した少年は、我が弓兵隊のエースとして自分の片腕として活躍してくれている。これもまた、ひとつの縁なのだろう。
 思い、今年のハロウィンに向けて用意した飴玉を一粒、口に運ぶ。甘酸っぱい苺の味が、口内にじわりと広がった。


  

執筆者:カザネ

 ロランとレオの過去話。ロランが入団して間もない頃のお話です。少し前に書いた話をリライトしました。捏造の前副団長も出ております。

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