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    『風の如く!』

 
 

 

 
 

 ゼクセン騎士団従者ルイス・キファーソンの朝は早い。朝一番に自らが仕える騎士団長クリス・ライトフェローの馬の手入れを行うことが、己に与えられた大切な仕事のひとつだからだ。
 その仕事はゼクセン騎士団の砦であるブラス城を離れ、湖の畔にあるビュッデヒュッケ城に一時的に居を移した現在も変わらない。ルイスは今日も陽が昇るのと同時に起床して馬房に足を運び、クリスの愛馬である白馬にブラシをかけた。ブラス城にいた頃は餌やりもしていたのだが、ビュッデヒュッケ城の馬房にはキャシィーという馬の扱いにたいへん長けた少女がいる。彼女は馬たちの世話のすべてを担ってくれていて、クリスの馬の世話ももちろん例外ではない。本来ならばブラシがけもキャシィーがしてくれるのだが、こればかりは従者の性というべきか。自分も馬の世話の何かしらをしなければどうしても落ち着かず、こうしてブラシがけは自分の手で毎朝行うようにしているというわけだ。
 クリスの愛馬のブラシがけを終えたルイスは、他の馬たちに餌を食べさせているキャシィーに丁寧にお辞儀をして馬房を後にした。
 白く眩しい陽光を浴びながら、城に続くゆるい坂道を歩いて行く。
 ブラシがけのあとは湖畔のレストランで朝食を食べるのが日課だ。ブラス城では朝食前に従者たちで訓練場の掃除などもしていたのだが、ビュッデヒュッケ城にやってきてからは自由にさせて貰っている。はじめこそ落ち着かなさが先行したが、やがてルイスにとって朝の自由時間は得るものの多きひとときとなっていった。
 今、この城にはゼクセンやグラスランド、更にはハルモニアや無名諸国まで、実にさまざまな人間がひとつ屋根の下で暮らしている。文化の違う国や土地で生まれ育った人々との交流は、ルイスの視野を大きく広げた。朝食ひとつとっても学ぶものがあり、相席した他国の人々との会話や食の違いなど、積み上げられたものは数多い。
 ――今日は何を食べようかな。ダッククランの人たちが食べていた焼き魚も食べてみたいし、カラヤ料理も気になるなあ。――などと鼻歌交じりに歩いていると、ルイスはふと食堂のある方から人影が向かってくることに気付き、足を止めた。
「あれ? あれは……」
 息を弾ませて駆けてくる人影はふたつ。ひとつは白いタンクトップに緑のジャージ姿の中年の男性。もうひとりは長い黒髪をひとつに束ねた魔法使い風の少年だった。
「……ケンジさんに、ロディ?」
 ルイスの立ち尽くすところまでやってきたふたりは、一時停止してルイスに笑いかけてきた。その間も、足はその場で小刻みに踏まれていて、動きを止めることはない。
「やあ、おはようルイス君! 今日もいい朝だね!」
「あ、は、はいっ! おはようございます!」
 腹の底から発せられたケンジの元気のいい挨拶に、ルイスは反射的に声を張って挨拶をした。
 ケンジはこの城に身を寄せている謎の体育教師で、いつもこうしてジョギングや体操をして体を動かしている。なぜこの城にやってきたのか、何が目的なのかはさっぱり不明だが、体操の美技は野生の凶悪なモンスターにも通用するのだから驚きだ。
「ロディ、君も朝のジョギングを?」
 ケンジの後ろで足踏みを繰り返すロディに、ルイスは戸惑い気味に尋ねた。
「ううん。これは立派な修行なんだ!」
 そう答えるロディの顔は大粒の汗が流れていて、実に爽やかだ。その清々しさに、ルイスは思わず首を傾げてしまう。
 ロディは魔法使いを目指す見習いで、大魔法使いであるエステラの弟子として旅をしている少年だ。同い年で、道は違えど見習いという立場であることもあり、ルイスはロディとすぐに仲良くなった。真面目で真摯に修行に取り組む姿勢はルイスにとっても刺激になり、切磋琢磨できる関係になりつつある。
 ――しかし、ロディが目指しているのは魔法使いだ。体力が必要な騎士ならば走り込みをするのも頷けるが、魔法使いにも体力をつける必要があるのだろうか。
「魔法って、体力も使うの?」
「あ、違うんだ。体力は確かにある程度必要なんだけど、僕が今やってるのは魔法の修行なんだよ」
「ま、魔法? これが?」
 にわかには信じられず、ルイスは思わず聞き返してしまう。しかし、ロディはまっすぐな瞳で頷いてくる。
「うん! こうして走って風を感じることで、風魔法の力が上がるって師匠が教えてくれたんだ!」
「風魔法……?」
「うん、ルイスもやってみない? 騎士でも魔法が使えたら便利だと思うよ!」
 それは、ルイス自身も前々から感じていたことだった。ゼクセン騎士団は重厚な鎧に身を包み、剣や斧や槍を主な武器にして戦う集団で、魔法を得手としている者は多くない。しかし、戦術に魔法を必要としていないというわけでもなく、使用できる人間は戦いの中でも重宝されている。要は、使いこなせる才のある者が団内にあまりいない、というだけなのだ。
 その中で、ルイスはひとつの希望を見出していた。先日、この城の学術指南を務めている少女のアーニーに才能調査をして貰ったところ、風魔法の資質があることが判明したのだ。いずれ正騎士になったときに剣だけでなく風魔法を駆使することができたなら――騎士団の戦いに大きく貢献できることは間違いない。そう思っていた矢先の今回のめぐり合わせ。ルイスは胸を高鳴らせた。
「ねえ、ロディ。この修行は本当に効果があるの?」
「もちろんよ」
 答えはロディではなく、ルイスの背後から返って来た。
 振り向くと、少し離れたところにある湖畔のレストランの一席についていたロディの師匠である大魔法使い・エステラが、ティーカップを片手に軽く笑んでいるのが見えた。
「エステラさん!」
「この修行はね、数ある風魔法の修行の中でも最も効果の高いものなのよ」
「本当ですか……?」
「ええ。あなたは風魔法の才があるようだから、そうね……毎日二時間、二週間も走り込めば一流の風魔法使いになれるはずよ」
「そんなに早く!?」
 ぎょっとするルイスに、エステラは笑みを深めて頷いた。
「ルイス、一緒に頑張ろうよ!」
「ルイス君! 僕らと一緒に青春の汗を流そう!」
 ロディと、そしてケンジにまで煽られて、ルイスの気持ちは留まるところを知らずに高まっていく。
 ――自分には果たして騎士の素質があるのだろうか? 騎士団やクリス様を支えられる立派な騎士になることができるのだろうか――? これまで、そんな漠然とした不安がルイスの中にはあった。同期の従者には自分よりも体格が良く、剣や馬の扱いに長けた人間は大勢いる。更に、現在クリスを支えている六騎士たちはそれぞれに突出した力を持っていて、団を率いている。しかし、自分にはこれといって誇れる能力がない。敢えて言うならば、掃除やお茶淹れくらいのものだ。そんな自分に自信を持つことが、なかなかできなかったのだ。
 しかし、この城にやってきて、その不安は薄れてきている。アーニーと出会うことにより風魔法の才能を知り、ロディやエステラやケンジと出会うことで、それを引き伸ばす方法にまで巡り合えた。世界は広いのだと思い知る。そして、この修行を達成すれば、将来は魔法も使いこなせる騎士に――。
 ルイスは大きな決心とともに拳をぐっと握り、ふたりに向かってしかと頷いた。
「ロディ、僕もやるよ! ケンジさん、よろしくお願いします!」
「もちろんさ! それじゃあ、これからヤザ平原の端から端を三往復するぞ!」
「はい! 頑張って付いていきます!」
 ルイスは再び走り始めたふたりの後に続き、そのまま修行へと繰り出した。それは、誇り高い騎士となるための明るい第一歩。眩しく光る太陽に照らされて、ルイスはどこまでも駆けていった。

 ――ー一方、ヤザ平原に向かっていく三人の背中を眺めていたエステラは、ふふふ、と妖艶な笑みを浮かべつつ、運ばれてきた朝食のホットサンドに舌鼓を打った。

 二週間後。白馬に跨って戦場を全速力で駆けるクリスの傍には、馬とほとんど同じ速さで並走してルイスの姿があった。その早さには敵軍はもちろん、味方の兵やクリスも驚き、注目を集めたとか、集めなかったとか。

 

 

執筆者:カザネ

 ルイスメインの小咄。ビュッデヒュッケ城で生活し始めた

ルイスの青春成長物語。(ギャグです)

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